地下の熱量
2026.6.4

大学で設計製図の授業を教えているが、毎週決まって授業前に、地下の学食エリアを走り抜ける。
建築的な観点から言えば、そこは劣悪ではないけど、決して優等生な空間ではない。地下特有の空気が滞留し、食堂の食べ物の匂い(しかも学食特融の重い揚げ物の油の匂い)が色濃く漂っている。
当然のように外光は届かず、蛍光灯の光の下では、照度計を持ち出すまでもなく机上面で400lxを割っているのがわかる。教科書通りの快適な設計基準に照らし合わせれば、お世辞にも理想的とは言えない、薄暗いコンクリートの箱だ。
だが、そこには圧倒されるような活気が充満していた。
授業を終えた学生たちが、長方形のテーブルを隙間なく囲んでいる。図面、ノートPC、模型の破片。彼らはそれぞれの陣地にツールを展開し、課題か何かに没頭している。混ざり合うノイズと熱気。
さらに観察すると、その群れの中に高校生の姿が混じっているのが見えた。彼らは大学生に向かい合い、ノートを広げ、熱心に何かを教わっている。
それを見たとき、僕は少し立ち止まった。
僕ら建築家が図面の上でどれほど「豊かな空間」や「スマートな動線」を企てようとも、使う側のリアルなエネルギーの前では時に無力だ。空間が綺麗に整っているかどうかなんて、彼らの活動にはさして重要な問題ではないのかもしれない。
彼らはこの薄暗く、決して恵まれているとは言えない地下の空間を、驚くほどのたくましさで使い倒している。僕らが頭の中で夢想し、目指そうとする「世代を越えた闊達な交流」というやつが、予定調和を飛び越え、むき出しの姿でそこに広がっていた。
その事実が、建築に関わる者として、たまらなく嬉しかった。(飯島敦義)
